2024/07/18 別れた後のふたり
別れた後のふたりがふしあわせになったかと言えば、絶対にそうではない。それぞれしあわせに暮らしたはずだと思う。
2024/07/17 二度目の別れ
ウィリアム・スタイグ『ねずみとくじら』は、2年前に初めて読んでから、もう何度も何度も読んでいる。今日も読んだ。今のわたしだからこんなふうに読んだのかもしれないなと思うことを書いておく。かなりのネタバレになるので、嫌な人は読んでから来てください。
この本の中で、ねずみのエーモスとくじらのボーリスは、二度別れる。一度目の別れで、ふたりは「いっしょう ともだちでいような」「きみのことは、わすれないよ」「ぼくだって、きみだけは、わすれるもんか」と言い交わす。この別れの後の一文。「ふたりはそれぞれしあわせにくらしました。」どうしてここで物語は終わらなかったのか。これほど物語の終わりにふさわしいセリフはないのに……!
長い年月が経って、再会したふたりは、二度目のお別れをする。とうとう本当のお別れとなる。「さよなら、なかよしのくじら」「さよなら、なかよしのねずみ」そのときにふたりが言ったのはこれだけ。そして、こんな一文が続く。「ふたりは、このさき2どとあえないことを しっていました。」ここでふと思った。ふたりはほんとうに二度と会えなかったのだろうか。もしかしたら、また会えたかもしれない。けれど、この物語の先で会えたとしても、このときに、会えないと知っていることが重要だったのだと思う。さらにこう続く。「そしてぜったいに あいてをわすれないことも しっていました。」そしてようやく物語は閉じる。
会わないでいた長い年月も続いていた友情は、再会して、よりたしかなものになった。陸のものと海のもの、ふたりの住む世界が違うことをふたりはとてもよくわかっていたのだと思う。会えないとしても、いっしょうともだちであることを心から信じたと思う。もう二度と会えないんだとふたりが思っている、そのうえでこれほどのあいてに「さよなら」と言うのにどれほどの勇気が必要だったか。わたしもずっとその勇気が欲しかった。
物語の後のことは、わたしにはわからない。わたし自身の物語だってそうだと思う。
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